COP
Christopher Anderson

COP<br>Christopher Anderson

COP
Christopher Anderson

Interview:
Kiyotaka Hamamura
Edit:
Sohei Oshiro
Cooperation:
Atsushi Hamanaka at twelvebooks
Translation:
Aya Takatsu

2026 - 04 - 30

ソーシャルメディアが発達し、誰もが自由に写真を撮って発表できる時代に、写真家は何を撮るべきだろうか? ましてや国際的写真家集団「マグナム・フォト」に所属している写真家は、現代社会において何をどう撮るのだろう? その答えを知りたいのなら、彼に話を聞くべきだと思った。クリストファー・アンダーソン。「マグナム・フォト」の正会員で、これまでに様々なドキュメンタリー写真を発表してきたが、その一方でファッションや広告などコマーシャルな分野でも活躍しているという異色のフォトグラファーだ。さらにユニークなのは、彼が9.11テロの後、レンズを向けた先は、アルカイダでもグラウンド・ゼロでもなく、ニューヨーク州の警察官たちだった(そしてそのプロジェクトは、『COP』という一冊の作品集として発表された)。彼はいう。写真は「自分の経験に忠実に、何かを伝えるだけ」のものだと。もしかしたら僕は“写真家”や“マグナム”という記号を前に、ある種の盲目状態になっていたのかもしれない。クリストファー・アンダーソンは、誰よりも私的に、誰よりも正直にシャッターを切り、写真と向き合っているのだ。もっと彼やその作品について知りたくて、いくつかの質問をぶつけてみた。

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VOSTOK(以下、V)

まず最新作品集『COP』についてお聞かせください。このシリーズを始めたきっかけやコンセプトについて詳しく教えて頂けませんでしょうか?

Christopher Anderson(以下、CA)

コンセプトなんてなしで撮った写真なんだ。僕自身もちゃんと定義できない何かへのリアクションなんだよ。アメリカでの警察による暴力や、9.11以後のニューヨーク、ブッシュとトランプの統治時代、権力の本質みたいに、示すことができるものもあるけどね。そういうものへの僕のリアクションが結果として写真というかたちをとっただけさ。
でもそういう写真を一度に見ると、もっと微妙なものが浮かび上がってくる。“COPS(=警察たち)”には何の関係もない一面もあった。あの制服は、ニューヨークの仲間たちを想起させるものっていうだけなんだ。ニューヨークにいる移民や労働者階級っていう感じさ。ニューヨークでは、そこにしかない色の光でポートレイトが撮れる。それは一種の宇宙であり、同時にその場所にしかない何かが、そこにはあるんだ。この写真は、受け手にいろいろなことを一度に見せてくれるみたいだね。

V

この作品集を制作していく上で、大変だったことはなんでしょうか?

CA

本を作るときはいつも、どこで終わりにするかが難しい部分なんだ。細かい部分をブラッシュアップするのと、本が持つエネルギーを削ぎ落としていくことには、ほんのわずかな違いしかないからね。

V

日本で住んでいる私から見ても、9.11以降、エリック・ガーナー窒息死事件やトランプ政権の誕生など、アメリカ国内が大きく揺れ動いている気がします。そんな激動の時代の中で写真家はどのような役割を担うべきなのでしょうか?

CA

ああ、まさに激動の時代だね。でも写真家の役割は変わらないと思う。自分の経験に忠実に、何かを伝えるだけだ。僕の写真はアクティビズムじゃない。自分が見たこと、もしくは経験したことを反映したり、それに対してリアクションしたものに過ぎないんだ。この記録がいつの日か役に立てばいいなと思っているよ。

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“I want the images to be intimate and emotional. I want the viewer to feel my presence in the image.”
「私的で、エモーショナルな写真が撮りたい。写真の中に僕という存在を感じられるようなものにしたいんだ」

V

戦場で写真を撮っていたあなたが、撮影場所を戦場から街(ファッションや広告など含む)に変えた時の心境、または葛藤を聞かせてください。

CA

僕はもうジャーナリストじゃない。自分が撮る写真には、もう責任というとんでもない重荷を課すことはできないよ……。僕の写真は客観的なものじゃないからね。でも写真に求めることは、今も変わらない。被写体にかかわらず、自分自身の経験を伝える方法を模索するんだ。私的で、エモーショナルな写真が撮りたい。写真の中に僕という存在を感じられるようなものにしたいんだ。僕との関わりが感じられるような。

“The presence of the photographer in the photograph is the only thing about photography that I find interesting”
「写真の中にそれを撮った写真家の存在が感じられる作品しか、僕は面白いと思わない」

V

同じ「マグナム・フォト」の中でも家族を撮り発表する人、しない人がいます。あなたにとっての家族を撮って作品にする事の意味を教えて下さい。

CA

すべて、この世で僕が得た経験を伝えるということに帰結する。僕が示したいのはそれだけだから。何を撮るかにかかわらずね。戦争でも、ファッションストーリーでも、自分の家族でも。それに対する僕のリアクションが、結果として写真になる。すごく利己的に聞こえるけど、写真の中にそれを撮った写真家の存在が感じられる作品しか、僕は面白いと思わない。

V

商業的な写真と個人的な作品作りの中での意識的な住み分け方を教えて下さい。

CA

自由度。

V

この写真は撮らない、あるいはこうゆう仕事はしない、といった自分の中での線引きはありますか?

CA

問題は、こういう被写体やテーマは撮らないということではなくて、そのテーマや被写体がどういう捉われ方をするかということだけなんだ。敬意や尊厳の問題だね。僕がどういう経緯でそれを重要だと決めたのかってこと。それを決めたかどうかってことじゃなくてね。

V

1つの物理的なカラー(同じフィルムを使っている、あるいは特定なフィルターをかけているようなカラー)を持って仕事をしているように見えます。それが生まれたきっかけや、その信念を知りたいです。

CA

僕の色彩感覚は、写真を始めたころに使っていたフィルムに由来しているんじゃないかと思う。独特な赤を持っているフィルムがあって、空を撮るとブルーよりシアンが強かった。それがどういうわけか、僕の心の目に焼きついているんだろうね。だからプリントするとき、カメラが識別するようにではなくて、自分が覚えている色にしたいと思うんだ。

V

小誌本号の特集テーマは“ヴァイオレンス”です。あなたの考える今の時代の(または次に来るであろう)“暴力”とはなんでしょうか?

CA

これまで多くの暴力を撮影してきた。戦争では肉体的な暴力を、政治では精神的な暴力を、といった具合に。今は、ほとんど精神的な暴力に占められていると思う。あたかもそれはそんな病気のようで、肉体的暴力はその症状みたいに感じられるね。

V

「マグナム」は戦場やストリートのドキュメンタリー色より、最近は現代アート色が強くなっている気がします。それは時代によって、今現在一番強いジャンルと住み分けされているのでしょうか?

CA

その二重性はずっと「マグナム」にあるものだと思う。(アンリ・)カルティエ=ブレッソンやロバート・キャパといった創設メンバーでさえも、アートとドキュメンタリーの狭間にあるものとして紹介されていたからね。スタイルという点で、今の僕らにはカルティエ=ブレッソンの写真はドキュメンタリーのように見えるけど、彼がその写真を撮っていた当時は、ジャーナリズムというよりシュルレアリスム運動のほうにつながっていたというのを忘れちゃいけない。
今日の美的感覚は様変わりして、ドキュメンタリー界もアートのモチーフを受け入れるようになった。そして、その逆も然り。でも、ドキュメンタリーとアートに「マグナム」が払う敬意の基本的なバランスは、創設のころから変わっていないと思うんだ。

“I think of myself as ME and Magnum is just a bus that I use to bring me to my destination.”
「僕は僕であり、『マグナム』は単に目的地まで行くのに使っているバスという感じさ」

V

現代は会社や組織単位でなく、個の時代だと言われていますが、「マグナム」のよう共同体に属していることでのあなたにとっての個では出来ない表現の違いはなんでしょうか?

CA

この質問にはどう答えたらいいかわからないな。僕の写真自体に、「マグナム」はまったく関わりがないから。「マグナム」は僕の代理人で、プロとしてのツールとして、また社会的コミュニティとしての役割を担っているというだけさ。“マグナム・フィルター”を通して何かを見ることはないんだ。「マグナム」という文脈で語られる僕の写真についての質問に答えるというのも、奇妙な感じだね。不当なことだというわけじゃない。自分が「マグナム」の写真家だと思っていないというだけだよ。僕は僕であり、「マグナム」は単に目的地まで行くのに使っているバスという感じさ。

V

映像のディレクションもされているのを拝見した事があります。写真との住み分けや、考え方の違いはありますか? または、今後映像での作品作りを考えていますか?

CA

実質的、そして記号論理学的には、そのふたつはまったく違うものだね。でもそのスピリットは同じにしたいと思っている。そこから同じ感情を得られるようにしたい。エモーショナルでパーソナルな何かを伝達する映像にしたいんだよ。そう、映像作家としての活動を続けていきたいし、成長したいと思っている。今、一番面白いと感じているメディアなんだ。でもずっと時間がかかるし、たくさんつくるのが難しくてね。

V

すべての制約を振り払って、お金も、現実に不可能な事も振り払って、今現在、一番何が撮りたいですか?

CA

今撮っているのと同じもの。この世で僕が得たパーソナルな経験だね。

Christopher Anderson

クリストファー・アンダーソン 1970年カナダ出身。テキサスで幼年期を過ごし、その後ニューヨーク、パリへと移る。1995年からフリーランスの写真家として活動を始め、96年に“U.S. News and World Report”の契約写真家となり、ロシアの経済危機やパキスタンのアフガン難民など、社会問題をテーマにするようになる。2000年、アメリカへ逃れるハイチ移民を追った写真で、ロバート・キャパ賞を受賞。2005年からマグナムに参加し、2010年より正会員。現在はニューヨークを拠点に創作活動を行っているほか、『TIME』や『The New York Times』などの媒体でも活躍している。

VOSTOK   2(2019年10月8日発売)より転載
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